雲行きの怪しかった空が、いつの間にか雨粒の涙をこぼし始めていた。
 講義棟を出た瞬間、絶句する。
 いつか500円くらいで買った折り畳み傘が壊れてから、鞄の中には傘は存在していないし、ビニル傘も家の玄関に置きっぱなしだった。
 傘を持ってない学生が、講義棟の入口にたむろしている。
 それから、ちらほらと傘を持っているものがそのまま傘を出して立ち去り、傘が無いものも、雨の中に消えていく。

 そこまで、酷くも無い雨だった。
 このままぐずぐずこの場所に留まるか、とりあえず場所を移動するか。
 微妙に、雨脚が強くなっているような気がする。

 仕方ないか…。
 私は、諦めの溜息を吐いた。
 一緒の講義を取っている友人は、こんな日に限って講義をサボっていない。
 鞄が濡れるのが1番の懸案事項だったが、仕方ないのでそれを抱きかかえて雨の帳の中に突入した。

 屋外喫煙スペースに、屋根がある。そこまで、行こう。

 時折水の溜まった場所を踏みつけて、ばしゃっと跳ね上げる。
 そうやって、喫煙スペースまで数十秒。
 そこにも、傘を持っていない学生たちがちらほらと、思い思いの恰好で存在している。

 雨は、酷くなる一方だった。
 足元には、いつの間にか川が出来ている。
 やることも無いので、文庫本を出す。
 湿気で、手触りが重い。
 何となくイヤーな気分になりながら、ページを繰った。

 どのくらいで止むだろう。
 家遠いのになぁ…。

 小1時間くらい経ったころか、ふと顔を上げる。
 事務局のほうから、走ってくる人影。

 「おー、乙希ちゃんだー」

 隣のベンチで、誰かが声を上げた。
 いつきちゃん、という響きが、私の胸に複雑な感情をもたらす。

 事務局から来たのは、講師の庄内乙希だった。
 彼女は、何の逡巡もなく、男子の集団に入っていく。
 綺麗なくせにさばけてる彼女は、男子に人気があった。
 わいわいと、気さくに話しかけられ、話しかけている彼女を目で追う。
 タバコ、吸うんだ…。

 輪に加わるわけでもなく、遠巻きにその一団を眺めていた。
 否、一団ではない。私は確実に、一点だけを見ていた。

 フレンドリィに話せない自分を何度恨んだことか。

 ずっと見続けていた割りには、彼女とは目が合わなかった。
 ほっとしたような、少し残念だったような。

 やがて、彼女は、女の子と2人で傘を差しながら、コンピュータルームのある建物に消えていった。
 少し、ほっとする。
 沢山、残念に思う。

 雨は、まだ止みそうも無い。
 私はまた、文庫本に視線を戻すことしか出来なかった。



 了