玄関の扉をくぐった瞬間から、亜弥の表情には不快の色が表れていた。
「亜弥ちゃーん?」
奥から、先に入った美貴のノーテンキな声が呼ぶ。
亜弥は、ますます不機嫌そうに眉を顰める。
前回ここを訪れたのは、いつだったか。
つい三、四日前だと記憶している。
「亜弥ちゃん?」
いつまでも玄関に留まり続ける亜弥を不審に思ったか、美貴がひょいと顔を出す。
真っ直ぐで決して長くない廊下の向こうにいる美貴の顔は、亜弥からは半分ほどしか見えない。
そこらに屹と立つ塔、塔、塔。
それが、亜弥の視界を遮る。
所々、雪崩を起こした跡のような“塔”の残骸が横たわっている。
天井近くまで伸びるもの、臑の少し上のもの、高さはまちまち。
構成物は、漫画、小説、雑誌、CD、DVD、MD、エトセトラエトセトラ…。
「どしたの、これ…」
かろうじて出た声は、絞り出したかのようなものになった。
「ん〜?」
美貴は、そんな亜弥の言葉を無視するかのように笑い、奥に引っ込む。
亜弥は厭きれたように息を吐き出し、靴を脱いだ。
積み上げられた塔に触れないよう、間を縫って美貴を追う。
そして、次の瞬間、声を失った。
「なっ…、」
何だ、コレ。
そこには、もう惨状としか形容できない光景が広がっていた。
足の踏み場も、ない。
そこは、海だった。
服が、紙が、本が、プラスチックが、ガラスが、何だか得体の知れない布が、床を埋め尽くしている。
その海から、また数本伸びる、塔。
「何、コレ…。…、みきたん?」
凍った頭を解凍して、何とか声を出す。
台所に立つ、美貴。
普段と変わらないその後姿が、今は不気味に映る。
亜弥の呼び掛けには、応えない。
思わず、数歩 後ずさった。
途端、何かが足に触れる。
恐る恐る、視線を下げる。
それは、大きな布に隠された、何か。
微かに覗く、白い…。
「!!!」
ひゅっ、と亜弥の咽喉が鳴る。
思わず、両手で口元を覆う。
それを、いつの間にか振り返った美貴が、笑顔で見ている。
「な、なん、何で…?」
そう言えば、誰かと連絡が取れないとか、誰かが言ってた。
ふふっと、美貴の口から声が落ちる。
じりじり、じりじりと迫る美貴。
逃げる亜弥。
が し ゃ ん
ば ら ば ら
ば き ば き ば き
触れた塔が崩れる。
構成物が、広大な海の一部へと還元して行く。
亜弥の足に踏まれ、イヤな悲鳴を上げる。
「何でよ?!」
甲高い声で、亜弥は叫んだ。
その、ヒステリックさ。
「愛してるからだよ」
対極の、凪いだ美貴の声。
あゝと、亜弥の口から絶望が零れ落ちた。
亜弥の直感は、これは駄目だと言う。悟る。
逃げたい、逃げたい、逃げたい、…。
美貴が迫る。
手が、迫ってくる。
首に、まとわりついてくる。
亜弥の視界には、紅が迫る。
やけに、美貴の口唇の紅が、目に焼きつく。
霞む。視界。
もう、駄目だ。
意識を手放す瞬間、紅がぐにゃりと歪んだ。
ア イ シ テ ル
そして、
世界は暗転した。
了