片恋



 大型のケージの奥で、彼は眠っている。
 午後五時半。
 この時間になると、気温が落ち始めるのだろう。
 大概、この時間には、彼は寝ている。
 ケージの奥にダンボールで作ってやった歪なドーム型の寝床に、だいぶ緑色の褪せた体躯がある。

 ソファに沈めた躰の力を更に抜き、ずぶずぶと沈んで行く。
 今日も疲れた。
 上がったのは早かったけど。
 仕事、仕事、仕事。
 わらって、話して、走り回って、跳んで、唄って。
 たまには遊んでやろうと思って帰ってみれば、定刻オーバーで。彼は夢の中。
 タイミングが悪い。

 開け放たれたケージの扉を一瞥しながら、閉めなきゃな、と認識する。
 けれど、躰は動かない。
 酩酊感のような疲労が、躰を支配する。

 彼は、夢を見るだろうか。見るのなら、どんな?
 ほんの一瞬、ふと意識の片隅に、そんなことが引っ掛かる。
 次の瞬間には、ずぶずぶと沈んで行く。
 眠りの深淵へと、沈む。

* * * * * *

 不意に、覚醒が来た。
 遠くから、雀の囀りが聞こえる。
 カーテンからは光が射し、部屋の中が明るんでいる。
 慌てて、飛び起きた。
 その反動で、前にあったガラスのテーブルに強か脛を打ち付ける。
 声にならない悲鳴が、口腔内を満たす。
 しゃがみ込んで、痛みの波が引くのをじっと耐える。

 つと、脇腹に何かが触れた。
 涙目で、それを確認する。

 「あー…。慰めてくれるの?」

 近付いてきたイグアナの、その乾いた皮膚に触れる。
 彼は目を細め、なされるがまま。

 「ゴハン、今 準備するからねー」

 そう告げて、彼から離れる。
 少し、まだ痛い、脛。
 何かあったかな。
 頭を掻きながら、冷蔵庫を開ける。
 物色する。

 ふと振り返ると、彼と目が合った。
 爬虫類の、無機質な瞳。
 彼は、じっと見ている。

 「……今、準備してるからさぁ」
 急かさないでよ。

 気を逸らすように、のんびり呟く。
 冷蔵庫から、キャベツを取り出す。
 二、三枚剥がして、洗って、小さくして。
 彼の許へ。
 彼の、許へ。
 彼は、それを喰らう。
 完膚なきまでに、喰らう。
 それを、冷ややかに俯瞰する。
 感情のない瞳で、見詰める。
 まるで、自分が爬虫類…。

 するすると手の中が空っぽになると、彼は離れていった。
 それを追うように手を伸ばし、体に触れる。
 彼は、身を捩った。
 手に、ずしりと尻尾が当った。

 …叩かれた。

 「…猫みたい」

 少し笑った。
 少し、泣いた。

 「       」

 小さく、小さく、ふと思い出された誰かの名を呼ぶ。
 今、夢を見てるのかな。見てるとしたら、どんな?

 イグアナの一撃は、硬くて重かった。