鈴蘭


 綺と私は、違う高校に通っていた。
 お互いの家は、歩いて15分程度の距離とは言え、住んでいる地区も違った。
 利用する駅は微塵も被らず、偶然鉢合わせるというハプニングは、かなりの高確率で起こり得なかった。

 綺に逢いに行く勇気は、あいにく当時の私には持ち合わせのないものだった。
 尤も、それがあったとしても、綺に逢いに行くという気力も気概も、疾うに失せていた。
 気持ちを受け入れられなかったことが、思った以上に当時の私にはショックだったらしい。
 拒絶されたことで、元々安定していなかった情緒が、嵐のように狂い始めた。
 原因も切っ掛けもわからず怒ったかと思うと、どうしようもなく沈んだ。完全なるアウトオブコントロールだった。自分自身を持て余した。
 
 そして、ぐちゃぐちゃと考えた。
 受け入れられてたら、どうする気だったんだ?と。
 私は、受け入れられたら、なんてことは一切考えていなかった。ただ、ありのままを受け止めて欲しかっただけなのかもしれない。兎に角、彼女に何かしてほしいと望むわけではなかった。
 傍にいて欲しい。私にとって特別な人だと知って欲しい。
 …ただ少しだけ願えるならば、特別な誰かを作らずに私のことを見て欲しい。
 私が望むのは、そんな関係だった。
 ただ単に私は、綺が好きで、その存在に焦がれ、ある意味偏執していただけだった。

 後悔と疑問と不満と欲望と妄執と焦燥が綯い交ぜになって胸に蟠り、個々がせめぎ合って暴れまわる。
 少しでも気を抜くと、押し潰されそうだった。

 その頃の私は、何かにと理由を付けて学校を休んだり、保健室に入り浸ることが多くなった。
 脇目も振らず、懸命に苦しんでいた。
 
 そうやって、日々を悶々と過ごしていくうちに、もう引越までほとんど日にちが無くなっていた。
 私の心は、揺れていた。逢いたい、逢いたくない、逢ってどうする…?
 どちらかと言えば、逢わないでいる方向に揺れる幅が大きかった。
 ぐずぐずと決心をつけられず、無為に時間だけが過ぎ去る。

 私が引越すまで、もうほんの数日と迫っていた。
 
 そして、郵便事情が悪ければ徒労に終わってしまうほどギリギリになってから、逢いたいという手紙を書いた。


 それから。
 夢で見た通り、綺には遂に逢うことは出来ず、私は転校した。

 生まれ育った大地を離れ、随分と南の地へと移り住んだ。
 確かに北にいた頃よりは冬の気温は下がらないけど、外に出れば乾いた冷たい風が悪戯をするように吹き付ける。体感温度は、あまり変わらないように感じた。

 空気もどんよりと重く、さほど躰の強くない私は、常に頭痛と共存する羽目になった。

 それでも、この南の地に居着いて10年になる。
 私は、もうそろそろ28歳になる。

 綺と逢えなかったその日の後、私は幾人かの男子と付き合った。2年とか3年とか、それなりの時間を一緒に過ごしたはずなのに、その記憶も曖昧だった。何が原因で別れたかも、朧気だった。
 私がそんなだったから、愛想を尽かされたのかもしれない。

 …今となっては、どうでもいいことだ。

 何事にも適当だった私は、適当に流されて、今は事務職に就いている。
 カレシはいない。

 就職できたことに安堵だけして、毎日を無為に過ごしていた。
 無気力なんじゃなくて、余計なエネルギー消費を省いているだけ。
 胸を灼かれるような恋をしていたことが、自分でも信じられない。
 
 そこそこ男性職員にちやほやされて、自分より若い子が入ってきたら忘れられて、時々同期や先輩方とご飯行ったり飲みに行ったりして、ほぼそんな風に日々を繰り返していた。