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結局、梨華はひとみを引っ張り出すのに成功した。
うっすらと積もった水分の多い雪を、靴の底が踏み固めていく。
「ほらほら、ひとみちゃんもー」
そんなに厚着じゃない梨華は、がっちり厚着のひとみの先をはしゃぎながら歩く。
うんざりした表情を見せる余裕もないほど歯をがちがち言わせているひとみを見て、梨華がくすくすと笑った。
ゆっくりと、二人で近所の公園を通り抜ける。
「…あれ?」
ひとみの口から、訝しげな声がこぼれる。
公園に行こうと言った梨華は、入ってきた場所ではない出入り口から公園を出ていた。
てっきり雪だるまとか作らされるような気でいたひとみは、拍子抜けした情けない表情で梨華を見る。
それを受けた梨華は、ふふ、と含蓄のある笑みを浮かべて手招きをした。
険しい表情のまま巻いていたマフラーに口元まで沈めながら、ひとみは梨華に従う。
連れてこられたのは、少し奥まったところにある店だった。
「お茶、しましょ?」
一見、店には見えない店だった。
表に出ている木の看板がなければ、普通の家だと思うだろう。
「…よくこんなところ知ってたね」
肩を竦め、表情を殺したひとみが言う。
梨華は、嬉しそうに顔をくしゃりとやった。
癪だけど、とひとみは思う。いい感じの店だ。
「……入るんなら、はやく」
そう言って、ひとみはさっさと店の扉をくぐった。
「あん、ひとみちゃん、まってよー」
猫なで声が、高い。
梨華を無視して入った店の中は、茶色を基調とした色で統一されていた。
温かみのある、落ち着いた雰囲気。
客席は、二人掛けが7組、4〜6人掛けが2組あった。
人知れず、ひとみの口からは、ほうと感嘆の溜息が洩れる。
入口に立ち尽くしていると、背中に衝撃。
「っと、ひとみちゃん?どうかした?」
不思議そうな声が背中から暗に席に着かないのか、と急かす。
「んぅ」とくぐもった声で応え、一番奥の二人掛けに腰を下ろす。
梨華は、それに倣ってひとみの対面に腰を下ろした。
さり気なく、梨華がメニューをひとみの前に置く。
にこにこと、ひとみが選ぶのを眺めている。
「……梨華ちゃんは、決まってるの?」
梨華に見られて居心地が悪いのと、何を頼むか決まらないのとで、ひとみは梨華に声をかけた。
「うん。アップルパイとアイスティー。アップルパイにねぇ、バニラアイスが乗ってるんだよー」
本当ににこにこと嬉しそうに話す梨華に、こんな顔久し振りに見たと思いながら、また視線をメニューに戻す。
紅茶と、コーヒー、それとケーキとかパイとか。
種類はそこまで多くはないが、目移りしてしまう。
意外と優柔不断な性格。
「…決まりそう?」
梨華が訊いてくる。
ひとみは、ふ、と前髪を吐息で持ち上げた。
それを見た梨華は、苦笑している。
「じゃぁ、私のお勧めでいい?」
ん、と小さく頷くと、梨華は店員を呼んだ。
深い緑色のエプロンをつけた、若い女性の店員が伝票片手にテーブルまで来てくれる。
自分の注文とひとみの注文を告げると、満足気な顔をひとみに向けた。
「チョコレートケーキと、カプチーノ・スクーロ」
先刻梨華が注文したものを、ひとみは自分の口で繰り返した。
「カプチーノ・スクーロって?」
聞き慣れた飲み物の名前の後に、聞き慣れない単語がくっついている。
癖で、少し険しい表情をしたひとみは、目の前のにこにこ顔に訊ねる。
にこにこ顔は、それを崩さずに説明する。
「エスプレッソに対して、ミルクの割合が少ないのをカプチーノ・スクーロって呼ぶんだよ」
得意げに話す梨華。
ほっとけば、まだまだ話し続けそうだ。
次の言葉を紡ごうとした梨華より先に、ひとみが口を開く。
「わーった。成程」
「もー、ひとみちゃん、最後までちゃんと聞いてよー」
にこにこ顔が、今度は膨れっ面。
くるくると表情が変わる。
周りからは大人っぽいと思われてるようだけど、こういうところを見ると子供っぽいんだよなぁ、とひとみは悪戯っぽく口元をにっと歪めた。
ああだこうだ言い合っているうちに、先刻の店員さんが注文の品を持って来る。
梨華の前には、バニラアイスクリームの乗ったアップルパイとアイスティ。
ひとみの前には、チョコレートケーキとカプチーノ(梨華曰く、カプチーノ・スクーロ)。
「「いただきます」」
二人の声は、示し合わせたかのように重なった。
「んー、おいち」
一口ぱくっとやった梨華の顔は、本当に幸せそうだった。
ひとみは、苦笑交じりにその様子を見ている。
「ほんと、幸せそうに食べるよねー、梨華ちゃんって」
言われた途端、梨華の顔がほんのり赤くなる。
そういうところが、ひとみには可愛く思えた。絶対口には出さないが。
雑談でひとしきり笑い、食べ、そして二人のカップと皿は空になった。
ふぅ、と二人で一息ついた後。
ひとみが伝票に手を伸ばすより早く、梨華の手がそれを掴んでいた。
困惑した表情でひとみが梨華を見上げると、梨華はにっこりと笑った。
「今日は無理矢理付き合わせちゃったから、奢り」
呆気に取られているひとみを置き去りに、梨華の足はレジへと向かっていた。
対応する店員にも、にこやかに返して会計を終える。
漫画だったら、頭上にもじゃもじゃを浮かべていそうな表情をしながら、ひとみは梨華より先に店の外へ出ていた。
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