1日目
転校初日の松井玲奈の感想は、不健康そうな学校、だった。
女子特有のねっとりと陰湿な負の感情を全面に押し出した高校生の寄せ集めを狭い箱の中に押し込めたような印象が、玲奈の眉間に皺を刻む。
おざなりな担任の紹介に、玲奈はぼそりとよろしくお願いします、と呟くように言った。
好奇心と、少しだけ敵意のようなものが含まれた視線が、玲奈に突き刺さっている。そこに、得も言われぬ倦怠感が混ざって、独特の空気を作り上げていた。
示された窓際の一番後ろの席に就くと、何事も無かったかのように朝のSHRが始まる。
担任のやる気の無い声に、くすくすと笑い声が重なる。何事か、囁く声が重なる。
自分が話題になっていることに気づいていながら、玲奈の関心はそこには無かった。詰まらなそうに、窓の外に視線を投げかけている。
夢も希望も無いのは、玲奈も、このクラスに詰め込まれた女子も同じだった。
玲奈の倦怠感だけは、すぐにクラスに馴染んでいった。
「松井さん、掃除当番だから」
放課後になって、声を掛けられた。
名乗ってもらっていないので、名前は知らない。
それでも、相手は自分を知っていて、モップを差し出してきているのが目の前の事実。
「えっと、どこの…」
戸惑いがちに訊くと、窓の外を指差された。
部室棟の、シャワールーム。
釈然としない思いを抱えつつも、玲奈はモップを受け取った。
「終わったら、そこのロッカーに戻しておいて」
それだけ言うと、名前も知らないクラスメイトは、“所属”しているであろう集団の中に紛れて教室を出て行った。
残された玲奈は、手の中のモップを見て溜息を洩らす。
こういうのは、巧く切り返さなきゃいけない、と決意を新たに、今回はシャワールームの掃除に向かった。
階段を降り、非常口から校舎の外に出ると、すぐに部室棟がある。
部活動に興味の無い玲奈には、縁の遠い場所だった。
シャワールームは、非常口を出てすぐの場所にある。鉄の扉が、まるで部屋を守るように鎮座していた。
重い扉を開くと、広いスペースがあり、その左側に、奥へと続く道がある。その道の両側で、色とりどりのカーテンが並んでいた。
玲奈は、気だるそうに首許に手を遣りながら、奥へと入っていく。一番奥から掃除を始めようと、先へ進んだ。
そして、ふと左側を見て、息を呑んだ。人が、いる。
そこには、少女が2人、向かい合って見詰め合っていた。
1人は壁に押し付けられ、1人はその壁に押し付けられた少女の前に佇んでいる。
触れれば切れてしまいそうな鋭い空気を纏った少女たちが次にとった行動に、驚いた玲奈の双眸が見開かれる。
押し付けるようなキスの後、一度離れて、また吸い寄せられるようにして、唇を重ねる。
互いの唇を、不器用にぶつけ合っていた。
玲奈は、逃げるようにしてシャワールームを飛び出す。
重い扉を慌ただしく開けて、飛び出したすぐ脇の壁に背中をぶつけるように押し付ける。モップの柄を握る手に、自然と力が入った。
荒くなった息を整えるように、深く息を吸って、吐いく。
それが誰かの視線に晒されているとは思いもせず、暴れているような心臓を鎮めようと躍起になっていた。
「ふーん…?」
向かい側のモップを胸に抱えた玲奈を見詰めながら、教室のベランダの手摺に凭れた松井珠理奈は小さく声を零した。
風に弄られる髪を押さえつけながら、じっと玲奈を見詰めている。
何かを堪えるように壁に凭れる玲奈は、珠理奈の視線に気づかない。
俯き加減の顔に、翳が差している。それでも、肌の白さが目に眩しかった。
今にも、消えてしまいそう。
「ねー、ちゅりー?」
振り返って、教室内の高柳明音に声を掛ける。
すぐに「何ー」と声が返ってきて、小柄な少女が珠理奈に駆け寄ってくる。
「あれって、誰だっけ」
そう声を掛けられ、明音は不満そうな表情を見せる。
それでも、珠理奈の脇から下を覗き込んだ。
「どれどれ…、ああ、ウチのクラスの転校生。確か、珠理奈と同じ松井さん」
「へー、あの子も松井さんなんだ…」
そう呟いた珠理奈の脇で、明音はますます不満顔をした。
珠理奈の双眸は、獲物を見つけた肉食獣のような光を湛えている。
そんな珠理奈の視線の先で、肉食獣に目を付けられた“松井さん”が動く。モップを抱えたまま、どうやら校舎の非常口に向かっているようだった。
「面白くなりそうだ」
小さく呟いて、珠理奈はちろ、と下唇を嘗めた。
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