3日目
天気のいい日は、よく教室から外を眺めている。
今日は、グランドにまだ生徒が残っていた。
最後の授業が体育だったクラスが、だらだらと後片付けをしている。
玲奈は、そこに珠理奈の姿を見つけた。
友達とじゃれあいながら倉庫に使ったものを戻す姿を見て、元気だなぁと感心する。
松井珠理奈という人物に関しては、普通に生活を送っていても、ちらほらと情報が入ってきていた。
洩れ聞こえる噂から判断すると、松井珠理奈という人物は、タラシだった。
人気者ではあるが、彼女が何人もいるという噂も聞く。
きっと同じ“松井”でなければ、玲奈にはまったく接点のない人物だっただろう。
それでも、玲奈には珠理奈との接点が出来てしまった。
玲奈が見ているのに気づいた珠理奈が、ぶんぶんと手を振ってくる。口の形で、玲奈ちゃーんと呼んでいるのがわかる。
玲奈は、小さく手を振り返した。
あの、学食での接触以来、珠理奈は食後の短い時間を玲奈と過ごすようになった。
天気のいい日は中庭で昼食を摂る珠理奈だったが、食事を終えてから必ず学食に玲奈を迎えに来る。
最初は戸惑っていた玲奈も、珠理奈の人懐っこさと粘り強さで、今ではそこそこ心を開いていたりする。
珠理奈と仲良くなっていく反面、それ以外の友達は一切できなかった。
そればかりか、周囲の視線は日を追うごとに冷たくなっていく。
それがなぜか、玲奈は解っている。
視線の先の、珠理奈。人気者の彼女が、仲良くしている転校生だから。
表立ったイヤガラセがないのが、せめてもの救いだった。
沈んだ思考に捕らわれていた玲奈がふと我に変えると、もうグランドには誰もいなかった。
(…ワタシも帰ろ)
鞄を手にとって、いざ教室を出ようとすると、玲奈が開けるより先にドアが開いた。
「うわっ」
思わず声を出して動きを止めると、珠理奈の顔がすぐそこにあった。
「びっくりしたー」
珠理奈が先に、能天気な声を出す。
暴れだした心臓を鎮めるべく、玲奈は深呼吸する。
「どしたの、珠理奈」
放課後まで玲奈の教室に来るのは、珍しい。
珠理奈は、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべる。
そして、玲奈の耳元で囁くのだった。
「今日の夜、ちょっと出てこれない?」
学校を出てから寄り道していた珠理奈は、制服のまま玲奈を待っていた。
辺りはもう、夜の帳に包まれている。
終バスも出てしまって人気の無くなったバス停のベンチで、珠理奈は待つ。
そして、その姿を見つけると、頬を緩ませた。
制服のままの玲奈が、小走りでやってくる。
小さく手を振ると、玲奈も少し笑ってくれた。
「何で制服?」
笑いを堪えて珠理奈が聞くと、玲奈は怒ったような表情になる。
それ以上は、突っ込まない。
玲奈を隣に座らせた珠理奈は、取り止めも無い話を始める。今日の学校での出来事、最近はまっているもの、明日の天気、テスト、夏休み…。
相槌を打ちながら、玲奈は静かに聴いている。
それから、ふたりの間に沈黙が落ちた。
「玲奈ちゃん、これ、あげる」
そう言って、珠理奈は自分の首に掛かっていた南京錠型のペンダントを外した。
明音からもらった、それを。
不意に、道の向こうから車がやってくる。ヘッドライトが珠理奈を照らし、その表情を闇夜に浮かび上がらせる。
珠理奈のそれは、真剣そのものだった。
「掛けていい?」
玲奈が頷くと、ほっとしたような笑みを見せる。
腕を回して、首に掛けてやる。
緩む頬を隠そうとして、失敗している玲奈が可愛かった。
留め金を着け終えると、髪を直してやる。
少し距離を空けて、玲奈を覗き込む。
そして、また沈黙。
珠理奈のそこにある表情からは、いつもの人懐っこい彼女が想像もできないくらいだった。
触れたら切れてしまいそうなほど、真剣な表情。
「玲奈ちゃん」
少しだけ掠れたような声が出た。
戸惑った玲奈が、半笑いのような表情で珠理奈を見る。
それもやがて消え、感情の浮かばない顔が珠理奈を見詰める。
手を伸ばし、髪をどけて、珠理奈は玲奈の耳に唇を寄せた。
玲奈は、堪えるように珠理奈にしがみついた。
眉間に皺を寄せ、息を止めて耐える。
やがて満足したのか、珠理奈が自ら離れていった。
玲奈の口から、短い吐息が洩れる。
「2人だけの秘密ね、玲奈ちゃん」
満面の笑顔で言って、珠理奈は玲奈の頬に唇を押し付ける。
「もう、珠理奈!」
遠くの街灯の薄明かりでもわかるくらい、玲奈の頬は赤く染まっていた。
とん、と玲奈の拳が珠理奈の肩を小突く。
その腕は易々と捕まり、引き寄せられた。
玲奈の躰が、珠理奈の胸に納まる。
「…遅くなるから、帰らないとね」
囁くように、珠理奈が言う。
玲奈も、首を縦に振った。
が、2人とも離れる気配は無い。
「…行かなきゃ、玲奈ちゃん」
心なしか甘く掠れた声が、玲奈を促す。
離れがたい気持ちを珠理奈の胸に置いて、玲奈は躰を起こした。
急にきまりが悪くなって、勢いよく立ち上がる。
それを見た珠理奈が、盛大に噴き出した。
「…帰るよ、珠理奈!」
後ろでに手を差し出すと、珠理奈はすぐにその手を握った。
指を絡めるように繋ぎあって、ふたりは夜を往く。
やがてその後姿は、闇に溶けていった。
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